色々な婦人科医の先生_五番目の先生

こんにちは、
小走りです。

引き続きは今まで通った婦人科の数々の先生、医院についてです。
今回の先生で最後の先生となります。

体外受精に切り替えると妊娠まであっという間だよ。
そう、不妊治療の先輩から話を聞いたことがありました。
ここまで既に2年近い歳月を費やしている私には
非常に甘美な言葉に聞こえました。

しかし、実際ここから約6年の月日を必要とするとは
この時夢にも思っていませんでした。

私が通い始めた当初、病院は院長先生一人で切り盛りしていました。
その割に大盛況で基本的に所用時間2時間コースでした。
採血以外の検査や混み具合が極まると3時間コースでした。
それでも自分が見込んだ先生だったので
今までの病院の中で一番待ち時間が長かったですが
ひたすら通いました

通っているうちにその繁盛ぶりからか
院長先生以外の先生が段々と増えていき
現在では産科も併設するほどの規模にまで大きくなっていきました。

この先生はちょっと面白かったのは
最初は超熱血先生でした。

一緒に頑張っていきましょう!
合言葉な位。

旦那が喫煙者だと分かるなり
「え!?不妊治療で禁煙していないんですか!?」
恫喝
元々私が嫌煙家だったので家では絶対吸わないし
飲んだ時に何本か吸う位だったので私も気に留めていませんでした。
しかし次回夫婦で来院した時は禁煙外来を薦められる勢いでした。
(ビビった旦那は次回以降付き添わなくなる始末(笑))

私が採卵で上手く行かなかった時一緒に落胆してくれたり
初めて受精が上手く行った時小躍りせんばかりに喜んでくれたりと
温度高めの先生でした。

2年程通って二個目の卵の受精がぱったり上手く行かなくなったときに
私の仕事が猛烈に忙しくなりました。
そこで1年ほど休んでから通院を再開すると
あれ?と思うほど先生の熱が冷めていました。
元々がかなりの高温だったので常温になった位の熱量。
再開直後は、ちょっとお疲れなのかな?
と思うほどでした。
その後もやはり採卵自体や受精が上手く行かずに
心折れる事が多かったり、お金自体がキツイ時期があったりして
通院を休んだり再開したりを繰り返しました。

そして再開の度に先生のぐいぐい来ていた熱量が
冷めていったんです。

これで駄目なら本当に不妊治療を辞めよう。
そう思って今から1半年前に最後の再開した時には
悟りを開いたかのような大人しさでした。
実際、
「まぁ、なるようにしかならない時もありますよ。」
などと言われたこともありました。

医者の中でもダイレクトに「」を扱う業種、
・・・・きっと色々あったんだろうなぁ。

勝手に想像して勝手に同情した次第です。

それでも私が超低確率の中妊娠反応を出した時には
やや昔の熱量で興奮気味に
おめでとう!
と言って頂いた時はやはりこの先生に付いてきて良かったと思いました。

産科もここにするか迷ったのですが
家から電車でも車でも1時間以上掛かるので
旦那と相談した結果、小児科もある地元の総合病院を選択しました。

10週を過ぎる頃、この病院を卒院したのですが
最後は先生の人数もかなり多くなっていて
ご挨拶が出来なかったのが心残りでした。

無事に生まれたら
お礼のお手紙を出そうと思います。

思い出し怒り_後編

こんにちは、
小走りです。

思い出し怒り、後編です。

二日酔いで嘔吐く旦那と婦人科に行って採卵。
自己最高の3個を採取するものの受精したのは一つの卵だけ。
数日後、この最後の一つの育ち具合を電話で聞くことに。

ここまでが前回。

婦人科の受付から回された電話口の培養師さんが低い声で挨拶してくれました。
もう既に悪い予感しかしない
予感っていうのは悪い方ほどよく当たる
「残念ですが三日目分裂を停止しまして、胚細胞までは育ちませんでした。」
案の定、と言われました。

また駄目だった

この事実は40歳を目前にした当時の私には事実上
打ち止め宣言に聞こえました。
この後どう頑張ってもこの間以上のコンディションに持っていくのは
歳的に厳しいと思ったからです。

「そうですか、分かりました。・・・ありがとうございました。」
そう言って電話を切りました。
横に居た旦那駄目だった旨を伝える
「そっか、・・・次、頑張ろう!」
と慰めてくれましたが
この時はショックと失望が強すぎて自分の心の内に深く々く沈んでいました。

ショックが和らいでくると差し当たり今回の落ち度を探し始めました。
お酒の量は減らしたけど止めるべきだったかな?
とか
ちょっと仕事が忙しく貧血気味だったのがいけなかったかな?
とか考えていくうちに
・・・・あれ?最大の過失があるんじゃない?・・・旦那に
って事に漸く気が付きました。

え?ちょっと待って?
そう言えば前日お酒ヘロヘロになった上に二日酔い状態で採精子して健康優良なものが取れる訳ないじゃん。

しかしその時点で採卵日からは1週間も経ち
今更旦那に食って掛かるのもタイムラグがあり過ぎ
自分一人で怒りまくるしかありませんでした。

せめて最後の胚細胞の確認時にショックに打ちひしがれずこのことに気が付いていれば
思い切り噛みつくことも出来たのでしょうが
その時はそんな思考も回らないほど沈んでいました。

今思い出しても腹立たしい事この上ないです。
しかも
「次頑張ろう!」
ってお前が唯一頑張らなければいけな所頑張れてないじゃないか!!
って思うと慰めの言葉怒りの対象でしかありません。

怒りが治まらない私は不妊治療仲間の知人に怒りを爆発
するとみんな口をそろえて
なにそれ!離婚だ、離婚!!」
と大いに怒ってくれました。

この時本当にみんな
怒ってくれて
悲しんでくれて
慰めてくれたことが
私のガリガリにささくれ立った気持ち宥めてくれました。
あの時はみんな、本当にありがとう
(今思い返しても涙目(笑))

不妊治療は自分との闘いだけに
仲間がいるとすごく精神的助けられます。
お互いに
どれだけ辛くて、
どれだけ時間とお金が掛かって
どれだけ苦しいかが
理解し合えるからだと思います。
それだけに仲間の誰かが子宝に恵まれた時
みんな自分の事のように喜ぶのだと思います。

すみません、少し話が逸れました。
さて、かなり時間が経った今でもこの件に関しての旦那への怒り
私にとって多分一生忘れられない位深い物だと思います。
ただ、今お腹にこの子が居てくれるので一先ず不問とすることにしています。
が、この子に何かあったり、弾みが付く出来事があったりしたら
この件は離婚への手形に直結すると思います。

いやー、女の恨みって怖いですねー(邪笑)

思い出し怒り_前編

こんにちは、
小走りです。

今回は不妊治療中の
思い出し笑いならぬ、思い出し怒りの話(笑)

元々私はを非常に作り難い体でした。
(これが私の不妊治療を長引かせた主な理由でもありました)

なので体外受精に治療を切り替えた後は
ホルモン剤リズムを整えて
良い感じの検査数値が出たらその月に強めの排卵誘発剤を各種投与
採卵に臨む。
その月は卵巣に無理をさせるので翌月と
大抵翌々月位まで卵巣を休ませる

こんなサイクルで治療を進めていました。

薬物投与でホルモン数値を整える努力をしても
私の体は今一良い結果出してはくれませんでした。
特にFSH(卵胞刺激ホルモン)値が異常に高く
30代の頃から下手すると80とかたたき出していました。
この数値は閉経した女性の値並みの高さです。
要は卵巣の機能が著しく低かったんです。

この為FSH値を下げる事が私の不妊治療の
大半の任務でした。
ネットで検索できる良いと言われることは基本大抵やりました。
(・・・・思い起こすと本当に頑張ってたなぁ・・・。)

そんな中での最後の採卵の時の話です。

2か月ホルモン剤の投与で調子を整えた結果、
珍しくFSHが一桁まで下がって先生も私もテンション高め
希望に胸脹らませました。
そこからはちょっと強めの排卵誘発剤を飲んだり
仕上げにhMG注射を自分で毎日打ったり。
すると初めて複数の卵が卵巣に視認出来たんです。
(今までは薬投与後も採卵対象まで大きくなったのは1つだけでした)

上手くすれば3つは取れるかもしれない。
期待大きくなるばかり。
採卵当日土曜日だから旦那も一緒に病院に行って処置ができる
自分の中では段取りも完璧でした。

実はこの当時、受精卵として凍結された卵が一つだけありました。
結果的にはその子が今、お腹に中に居ます)
しかしたった一つを移植するのに二の足を踏んでしまい、
出来れば複数個の受精卵が欲しいと、欲張っての採卵でした。

前日の金曜からお酒も控えて早めに就寝
・・・と、ここまでは良かったんです。

23時頃、私の携帯鳴りました
旦那からでした。
べろべろに酔っていてろれつが回らない状態で
今自分がどこに居るか解らない
と言った内容の連絡でした。

続く・・・

 

「自信は無かった」 について_その1

こんにちは、
小走りです。
そういえば一番最初にご説明しなければ行けない事を
すっ飛ばしていました。

表題の
「自信はなかった」
についてです。

胚をお腹に戻す瞬間から非常に多方面に思ったことでした。

まず、
「妊娠する自信はなかった」
不妊治療中、私は非常に卵を作り難い体でした。
加えて結構な期間を掛けて取り出したわずかな卵で
受精して移植できる胚まで進んでくれた子
この子だけでした。
体外受精治療に切り替えてから
6年でたった一個
です。
しかもグレードは3AB。
不妊治療されている方は分かると思いますが
基本的に凍結して解凍して、お腹に戻せるぎりぎりのラインです。
極めつけは年齢。今年で41歳の私です。
もちろん万全の体調で臨みましたが
正直記念受験の心持でした。
(受験料半端なく高いけど・・・)
そんな私が移植1週間後に妊娠を告げられた時
「え?マジ?」
と言う驚きが喜びより先に出てきた程でした。
もちろんその後は号泣でしたが。

その2に続く