安定期

こんにちは、
小走りです。

安定期とはよく言ったものです。

5か月に入るまでは諸々危険な時期があったり
母体の変化が色々起こったり
妊娠自体を会社親族に告げるイベント等があったりと、
何かと妊娠を意識することが多かったです。

しかし妊娠も22週を過ぎる体調安定して
電車に乗り遅れそうな時には小走りで飛び乗ったり出来ます。
(周りからは怒られます)

そうなると段々お腹が大きくなってくる以外
本当に普段通りに生活できるので
自分が妊婦だという事を忘れる瞬間があるんです。

今までは週数を重ねる毎に熱心に読んでいた
「○○週の赤ちゃんとお母さんの体」
的な記事も読み忘れる事すらあります。

そんな油断した日々を送っていた先日、
来週出産予定の友人の家に届け物で伺いました。
自分も妊婦ですが
そのお腹の大きさにびっくり
あそこまで大きくなるんだ!と衝撃を受けました。

友人は
「早く出したい、早く出したい」
と大きなお腹と擦っていましたが
既に3人目なので余裕の貫録。
「出たら連絡するね」
と気軽に約束してくれました。

未だ出産予定日まで3か月ほどあります。
その頃ぺぺは今の3倍位の大きさになるのだから
お腹だってそれなりに大きくなるでしょう。
頭では分かっていたけど
3か月後にあの大きさのお腹を抱えるかと思うと
正直ちょっと憂鬱になりました。
まだまだ覚悟が足りませんでした。

目測を誤って時々お腹を擦る最近だけれども
割と身軽に動ける安定期
あと2週間ほどのこの期間を大事に動き回りたいと思います。

色々な婦人科医の先生_五番目の先生

こんにちは、
小走りです。

引き続きは今まで通った婦人科の数々の先生、医院についてです。
今回の先生で最後の先生となります。

体外受精に切り替えると妊娠まであっという間だよ。
そう、不妊治療の先輩から話を聞いたことがありました。
ここまで既に2年近い歳月を費やしている私には
非常に甘美な言葉に聞こえました。

しかし、実際ここから約6年の月日を必要とするとは
この時夢にも思っていませんでした。

私が通い始めた当初、病院は院長先生一人で切り盛りしていました。
その割に大盛況で基本的に所用時間2時間コースでした。
採血以外の検査や混み具合が極まると3時間コースでした。
それでも自分が見込んだ先生だったので
今までの病院の中で一番待ち時間が長かったですが
ひたすら通いました

通っているうちにその繁盛ぶりからか
院長先生以外の先生が段々と増えていき
現在では産科も併設するほどの規模にまで大きくなっていきました。

この先生はちょっと面白かったのは
最初は超熱血先生でした。

一緒に頑張っていきましょう!
合言葉な位。

旦那が喫煙者だと分かるなり
「え!?不妊治療で禁煙していないんですか!?」
恫喝
元々私が嫌煙家だったので家では絶対吸わないし
飲んだ時に何本か吸う位だったので私も気に留めていませんでした。
しかし次回夫婦で来院した時は禁煙外来を薦められる勢いでした。
(ビビった旦那は次回以降付き添わなくなる始末(笑))

私が採卵で上手く行かなかった時一緒に落胆してくれたり
初めて受精が上手く行った時小躍りせんばかりに喜んでくれたりと
温度高めの先生でした。

2年程通って二個目の卵の受精がぱったり上手く行かなくなったときに
私の仕事が猛烈に忙しくなりました。
そこで1年ほど休んでから通院を再開すると
あれ?と思うほど先生の熱が冷めていました。
元々がかなりの高温だったので常温になった位の熱量。
再開直後は、ちょっとお疲れなのかな?
と思うほどでした。
その後もやはり採卵自体や受精が上手く行かずに
心折れる事が多かったり、お金自体がキツイ時期があったりして
通院を休んだり再開したりを繰り返しました。

そして再開の度に先生のぐいぐい来ていた熱量が
冷めていったんです。

これで駄目なら本当に不妊治療を辞めよう。
そう思って今から1半年前に最後の再開した時には
悟りを開いたかのような大人しさでした。
実際、
「まぁ、なるようにしかならない時もありますよ。」
などと言われたこともありました。

医者の中でもダイレクトに「」を扱う業種、
・・・・きっと色々あったんだろうなぁ。

勝手に想像して勝手に同情した次第です。

それでも私が超低確率の中妊娠反応を出した時には
やや昔の熱量で興奮気味に
おめでとう!
と言って頂いた時はやはりこの先生に付いてきて良かったと思いました。

産科もここにするか迷ったのですが
家から電車でも車でも1時間以上掛かるので
旦那と相談した結果、小児科もある地元の総合病院を選択しました。

10週を過ぎる頃、この病院を卒院したのですが
最後は先生の人数もかなり多くなっていて
ご挨拶が出来なかったのが心残りでした。

無事に生まれたら
お礼のお手紙を出そうと思います。

色々な婦人科医の先生_四番目の先生

こんにちは、
小走りです。

またまた間が空きましてすみません。
もう少し小まめに更新しなくては・・・。

前々回に引き続きは今まで通った婦人科の数々の先生、医院について
少し書き留めたいと思います。

結局50日間を過ぎた辺りで生理っぽい物が来て
一先ずの区切りとなりました。

しかしこの不順っぷりに改めて子供が出来ないのではないかと
不安に駆られて次の病院を探しました。

ここはもう王道で行こう、そう思い、俗に言う「夢クリニック」系列の
病院の門を叩きました。

流石に神奈川の片隅から本家までは遠過ぎでした。
働きつつ通い続けることは難しいだろうと思い
最寄りの駅から3つ離れた夢クリさんにお世話になることにしました。

ここは柳のように細いおじいちゃん先生でした。
声も小さく、聞き取り辛かったですが
設備もきれいで看護師さん先生の姿勢真摯で漸く腰を据えて
治療を再開できました。

1年弱ほど通って一通りの検査、治療を行った後
やはり自然妊娠は難しそうだという結論に至りました。

そうなると残る手段は人工授精か体外受精絞られる、
と言うことで子宮内の状況を見る子宮超音波検査を行う事にしました。
これは生理食塩水などの液体を子宮腔内に注入しつつ
超音波検査を行うと言う代物。
検査から分かることは子宮内部の物理的な状態把握ができることらしい。

この結果、私に今後の不妊治療で付いて回る事になる
子宮内ポリープの発見に至るのでした。

この時は「何か突起物がある」位の診断結果で
その「何か」を診察するにはこの病院では設備が揃っていないと言われ
この検査と治療の為に別の婦人科医を紹介されました。
設備が揃っていると異物の検査と同時に切除することも可能だから
一気に治療が済んでしまうらしく、お手軽だと薦められました。

そして実を言うとこの紹介された婦人科の先生五番目の先生となるのでした。
この先生の病院はかなり潔く、体外受精を目的とした不妊治療専門の先生でした。

少し端折って、
この突起物の切除と経過観察で3か月ほど不妊治療が止まりました。
この話はまた後程どこかでまとめて致します。

治療を終えて戻ってくると変な話、
別の男性に完全に心奪われた後今カレに久々に会った心持になっていました。

四番目の先生は穏やかで優しい先生でしたが
今一つ質問に対して欲しい答えを返してくれない方でした。
この点では旦那も少しもやもやした所があると言っていたので
私の思い込みではなかったのだと思います。

所が紹介された先生はまだ30代で治療病院経営情熱的
何より質問にズバッと回答してくれる方でした。

正直この先生の元で治療したい
そう思ってしまったのです。

その後1月ほど四番目の先生の所に通いましたが
自分のコンディション的に体外受精しか道はない状態となりました。
この時もこの先生は体外受精に切り替えてもいいし、
もう少し人工授精で頑張ってみても良いし、
みたいな感じで治療方針を断言しないご意見でした。

決めるのは自分だ。
既にこの時最初の産婦人科に訪れてから2年半が経過していました。
そして初めてこの先生なら治療が上手く行くのではないか
と言う期待が持てた先生に出会えたのです。

直感を信じて再度、転院することにしました

・・・・・因みに

ここで転院に関して気持ちが揺らぐことはなかったのですが
一点だけ、この病院替え難い存在の看護師さんがいました。
この方、「注射のネ申」でした。

この看護師さん凄いんですよ。針を刺す時も抜く時も
本当に全く痛くない
不妊治療に付いて回る採血ですが、
いつ血を抜かれたか見てないと分からない位でした。

ホルモン剤肩に筋肉注射された方は分かるかと思うのですが
これは本当に痛い。
採血よりも太い針を使い、結構な質量の液体を筋肉に送り込む。
指す時も注入中も抜く時も抜いた後も痛い
しかも質量が多いため10秒くらいかけて注射するんです。
これが短すぎると一気に筋肉を押し分けるので更に痛い。

そんな激痛注射を何度か別の看護師さんで経験した後に
この凄腕看護師さんに施術された時は衝撃でした。
にトンっと手を置いたかと思うと
終わりましたよ。」
と告げられたのです。
はい!?
劇画タッチの顔で看護師さんに振り返りました。

あの看護師さんだけは
未だに私の中でレジェンドです。

色々な婦人科医の先生_三番目の先生

こんにちは、
小走りです。

ちょっと間が空きましてすみません。
年末の為仕事が詰め込み状態となっていました。
(→言い訳)

前回に引き続きは今まで通った婦人科の数々の先生、医院について
少し書き留めたいと思います。

次の病院を模索している中で
この時、月の物が来なくなったんです。

そんなに定期的とは言えない私の周期でしたが
45日間を超えるあたりでさすがにあれ?って思い始めました。

しかし目立った妊娠の兆しは特になく
そのことも逆に不安を煽りました。

取敢えず、と思い2か月前にオープンしたばかりと言う
近場のレディースクリニックに行きました。
オープンしたてだったのかタイミングだったのかはわかりませんが
先生一人、受付一人と言う簡素な人員でした。

真新しい待合室には女性3人と私
土曜の朝一、受付を済ませて番を待ちました。

するとかなり若い女性(もしかして10代?)が
少し焦ったような雰囲気で病院に入ってきました。
するとそこに医院長らしき中年の先生が書類を持って受付の裏の戸から登場、
そのまま受付の後ろの棚に書類を入れたり出したりして作業をしていました。

私は受付近くに座っていたので女性と受付の人の声が耳に入ってきました。
妊娠しているかどうか調べて欲しいのですが・・・・」
少し言葉に詰まったように女性は受付の方に伝えました。
するとその言葉医院長先生振り向きました。
「え?調べるだけなら妊娠検査薬使えば?

・・・いや、そうかもしれんけどそんな言い方ないでしょう。

女性はちょっと驚いたようで、少し沈黙が流れましたが
ややあってこう答えました。
「そ、それは使いました。・・・陽性だったので病院で診てもらおうかと・・・」
首だけ後ろを向くような格好で先生は
「なんだ、じゃぁ、妊娠してるよ。」
と、少し眉間に皺を寄せて受け答えました。

か、・・・感じ悪いな・・・。

それが三番目の先生への第一印象でした。

因みにその若い女性はその後何も言わず
受付に出しかけていた保険証をそのまま鞄にしまって病院を後にしました。
察するに十中八九、望まない妊娠だったのでしょう。

①虫の居所が悪かった
②不用意な妊娠への憤り
③こういう性格

この一幕を見てしまった私は自分の診察の番まで
医院長先生の実態を憶測していました。

診察の順番が回ってくると直ぐにその答えは出ました。

診察室で先生の前に座りましたが
基本、患者を見ません
酷い時は両腕で頬杖ついてPC画面見たまま話します。

正解は③

新規オープンしたててこの態度は無いだろう。
言うてはなんだけど町医者は客(患者)商売
愛想も態度も悪い所に好んでいく人はいない。

この時の診察内容は正直気分悪過ぎてあまり覚えていないのですが
2年と経たずにこの病院無くなっていました。

運が悪いのか、私のえり好みの所為なのか
そんな訳で私はあっという間に3つの婦人科を通り過ぎました。

色々な婦人科医の先生_二番目の先生

こんにちは、
小走りです。

前回に引き続きは今まで通った婦人科の数々の先生、
医院について
少し書き留めたいと思います。

結局生理痛の原因不妊の相談も出来ないまま
2、3か月が過ぎました。
しかし不安と痛みはそのままだったので
次の婦人科に行くことにしました。

取敢えず先輩方のご指摘通り「婦人科」を探しました。

見つけたのは最寄りの駅から一駅先にある
割と新しいクリニックでした。
生理痛と不妊の相談をした所、
血液検査から尿検査まで一通り検査してもらえました。

院内もきれいだし、比較的空いているし、看護師さんは親切だし。
という事で生理痛の原因はやはりホルモンバランスではないか
と言われて原因は不明でしたが不妊の相談にも快く乗ってくださったので
ここで不妊治療を始めました

セオリー通りホルモン検査卵管造影等を受けました。
基本的に問題ないので王道でタイミング法で2回ほど様子を見ました。
しかしやはり妊娠には至らなかったので
次のステップに進むことになりました。

ここで不妊治療の先輩から仕入れた情報とかなり異なる展開になったので一気に混乱しました。
次のステップ人工授精だと言うのです。

この時点旦那の方の検査やタイミング法で並行して行う
フーナーテスト行っていなかったからです。

黙ってはいられず婦人科医さんに旦那の検査はしないのか聞いてみると
ご主人は検査したいって?
と逆に聞き返されました。

・・・そういう問題ではない。

この一件で不信感爆発

次の予約は電話でする旨を伝えて
この病院はそれ以降通うことはありませんでした。

しかし判断が早急過ぎやしなかったかと
この後少し後悔と自責の念にかられました。
一人ではもやもやが収まらず
同じ年の不妊治療仲間に打ち明けてみると
「何言ってるの?駄目だよそんな医者、フーナーもすっ飛ばすとかあり得ないし!」
同意してくれました。

勢いはある癖に自信のない私はこの一言で漸く次の医者を探すことが出来ました。

しかし、思い出してみるとこの病院では
付き添い等の旦那さんをほとんど見かけませんでした。
病院の方針と言うか、医院長の意向と言うか、
そういうものが出ていたのかもしれません。

色々な婦人科医の先生_最初の先生

こんにちは、
小走りです。

今回は今まで通った婦人科の数々の先生、医院について
少し書き留めたいと思います。

私の不妊治療の事の発端
生理痛からでした。

毎回と言うわけではないのですが
生理痛が非常に強いことがちょいちょいありまして、
痛くなるとピーク時
その場に座り込んで動けなくなるほどでした。

30代中盤位が一番痛かったような気がします。
この頃、
結婚4年以上経っても未だ妊娠しないことや
生理痛重すぎることに不安を抱いて
婦人科の門を叩いたのです。

予備知識ゼロで体当たりした私は
地元の産婦人科に行きました。
電話連絡したら予約なしの先着順だという事で
9時診療開始の産婦人科に8時半に行きました。
が、既に狭い待合室一杯の妊婦さん
10名以上の中で唯一お腹の大きくない私は一人浮いていました。

そしてそこからなんと3時間以上待って
診察室に通された時はお昼を回っていました。

アウェイ感半端ない空間で3時間以上はきつかったです。
しかし待ち疲れてヘロヘロのになって漸く診療に入った私は
ものの3分診察室から出てきました

と言うのも、おじいちゃん先生に自分の症状を伝える
最後まで聞きもしないで
「30代でしょ?良くある、良くある。病気じゃないから。」
と言われて不妊の相談をする間もなく診察が終了したのです。
問診オンリーで。

どこにこの感情をぶつけて良いのか分からず
帰り道、血管キレるほどいきり立ったのを覚えています。

後になって不妊治療の先輩から
妊娠していないのに「産」婦人科には行ってはいけない
という事を学びました。
」婦人科は妊婦以外の人間には結構な冷たさでした。

と言うわけで
当然諸々の原因も分からず最初の婦人科
二度と行くことはありませんでした。

今になって色々産婦人科を調べていると
産婦人科医としては評判が悪くない医院でした。
しかし過去にここまで印象悪いと
幾ら家の近くでも
妊娠後行こうとは思えませんでしたけどね。

思い出し怒り_後編

こんにちは、
小走りです。

思い出し怒り、後編です。

二日酔いで嘔吐く旦那と婦人科に行って採卵。
自己最高の3個を採取するものの受精したのは一つの卵だけ。
数日後、この最後の一つの育ち具合を電話で聞くことに。

ここまでが前回。

婦人科の受付から回された電話口の培養師さんが低い声で挨拶してくれました。
もう既に悪い予感しかしない
予感っていうのは悪い方ほどよく当たる
「残念ですが三日目分裂を停止しまして、胚細胞までは育ちませんでした。」
案の定、と言われました。

また駄目だった

この事実は40歳を目前にした当時の私には事実上
打ち止め宣言に聞こえました。
この後どう頑張ってもこの間以上のコンディションに持っていくのは
歳的に厳しいと思ったからです。

「そうですか、分かりました。・・・ありがとうございました。」
そう言って電話を切りました。
横に居た旦那駄目だった旨を伝える
「そっか、・・・次、頑張ろう!」
と慰めてくれましたが
この時はショックと失望が強すぎて自分の心の内に深く々く沈んでいました。

ショックが和らいでくると差し当たり今回の落ち度を探し始めました。
お酒の量は減らしたけど止めるべきだったかな?
とか
ちょっと仕事が忙しく貧血気味だったのがいけなかったかな?
とか考えていくうちに
・・・・あれ?最大の過失があるんじゃない?・・・旦那に
って事に漸く気が付きました。

え?ちょっと待って?
そう言えば前日お酒ヘロヘロになった上に二日酔い状態で採精子して健康優良なものが取れる訳ないじゃん。

しかしその時点で採卵日からは1週間も経ち
今更旦那に食って掛かるのもタイムラグがあり過ぎ
自分一人で怒りまくるしかありませんでした。

せめて最後の胚細胞の確認時にショックに打ちひしがれずこのことに気が付いていれば
思い切り噛みつくことも出来たのでしょうが
その時はそんな思考も回らないほど沈んでいました。

今思い出しても腹立たしい事この上ないです。
しかも
「次頑張ろう!」
ってお前が唯一頑張らなければいけな所頑張れてないじゃないか!!
って思うと慰めの言葉怒りの対象でしかありません。

怒りが治まらない私は不妊治療仲間の知人に怒りを爆発
するとみんな口をそろえて
なにそれ!離婚だ、離婚!!」
と大いに怒ってくれました。

この時本当にみんな
怒ってくれて
悲しんでくれて
慰めてくれたことが
私のガリガリにささくれ立った気持ち宥めてくれました。
あの時はみんな、本当にありがとう
(今思い返しても涙目(笑))

不妊治療は自分との闘いだけに
仲間がいるとすごく精神的助けられます。
お互いに
どれだけ辛くて、
どれだけ時間とお金が掛かって
どれだけ苦しいかが
理解し合えるからだと思います。
それだけに仲間の誰かが子宝に恵まれた時
みんな自分の事のように喜ぶのだと思います。

すみません、少し話が逸れました。
さて、かなり時間が経った今でもこの件に関しての旦那への怒り
私にとって多分一生忘れられない位深い物だと思います。
ただ、今お腹にこの子が居てくれるので一先ず不問とすることにしています。
が、この子に何かあったり、弾みが付く出来事があったりしたら
この件は離婚への手形に直結すると思います。

いやー、女の恨みって怖いですねー(邪笑)

思い出し怒り_前編

こんにちは、
小走りです。

今回は不妊治療中の
思い出し笑いならぬ、思い出し怒りの話(笑)

元々私はを非常に作り難い体でした。
(これが私の不妊治療を長引かせた主な理由でもありました)

なので体外受精に治療を切り替えた後は
ホルモン剤リズムを整えて
良い感じの検査数値が出たらその月に強めの排卵誘発剤を各種投与
採卵に臨む。
その月は卵巣に無理をさせるので翌月と
大抵翌々月位まで卵巣を休ませる

こんなサイクルで治療を進めていました。

薬物投与でホルモン数値を整える努力をしても
私の体は今一良い結果出してはくれませんでした。
特にFSH(卵胞刺激ホルモン)値が異常に高く
30代の頃から下手すると80とかたたき出していました。
この数値は閉経した女性の値並みの高さです。
要は卵巣の機能が著しく低かったんです。

この為FSH値を下げる事が私の不妊治療の
大半の任務でした。
ネットで検索できる良いと言われることは基本大抵やりました。
(・・・・思い起こすと本当に頑張ってたなぁ・・・。)

そんな中での最後の採卵の時の話です。

2か月ホルモン剤の投与で調子を整えた結果、
珍しくFSHが一桁まで下がって先生も私もテンション高め
希望に胸脹らませました。
そこからはちょっと強めの排卵誘発剤を飲んだり
仕上げにhMG注射を自分で毎日打ったり。
すると初めて複数の卵が卵巣に視認出来たんです。
(今までは薬投与後も採卵対象まで大きくなったのは1つだけでした)

上手くすれば3つは取れるかもしれない。
期待大きくなるばかり。
採卵当日土曜日だから旦那も一緒に病院に行って処置ができる
自分の中では段取りも完璧でした。

実はこの当時、受精卵として凍結された卵が一つだけありました。
結果的にはその子が今、お腹に中に居ます)
しかしたった一つを移植するのに二の足を踏んでしまい、
出来れば複数個の受精卵が欲しいと、欲張っての採卵でした。

前日の金曜からお酒も控えて早めに就寝
・・・と、ここまでは良かったんです。

23時頃、私の携帯鳴りました
旦那からでした。
べろべろに酔っていてろれつが回らない状態で
今自分がどこに居るか解らない
と言った内容の連絡でした。

続く・・・

 

心拍確認時の出来事

こんにちは、
小走りです。

今回は回想編
移植してから妊娠判明その1週間後のお話。

このタイミングだと大抵のイベントとしては
心拍の確認
だと思います。

「成長が伴っていれば心拍の確認ができるよ。」
前回の検診でお医者さんにそう言われたので
当てにせず期待せずに内診に臨みました。

と言うのも、
ちょうど2年程前に旦那の従妹が40歳で妊娠して
大喜びしていたのですが心拍の確認ができず
悲しい結末となったのを身近に見ていたからです。

内診室でエコーが画面に表示されると
子宮の中によく分からないもやっとした
小さな塊が見えました。

するとその一部が跳ねるように動いていたんです。
・・・もしかして?
胸の奥にくっと掴まれたような痛みが走りました。
カーテンの向こう側で診察医が
「見えるー?このピコピコと動いているの、これ、心臓ね。」
と、至極軽い口調でこちらに語りかけてくれました。

その口調とは裏腹
胸の奥の痛みは一気に強くなり涙を押し上げてきます。
「あの、心拍が確認できた、という事、ですか・・・
まだコントロール出来ない感情で何とか確認の言葉を繋ぎました。
あのコンディションで良くここまで・・・、
目には涙が溜まって今にも溢れる寸前です。
するとまた軽い口調で思いもよらぬ言葉が返ってきました。

「そうだよー。これで心拍確認成功報酬ねー。」

・・・・・・・・・・・・・・ん?
この言葉にはガチで涙が引っ込みました。

え?なにそれ?
って言うか、のタイミングで言う言葉?
感動何とも言えない感情に変わりました。

その後の会計きっちり10万近く「成功報酬」が
計上されていましたが、
せめて内診終わってからの診察段階まで言わなくても良いような気がしました。

不妊治療の料金って恐らく婦人科によって異なると思うけど
心拍確認の直後のエコー中
お金の話はちょーっと無粋過ぎる気がしました。

私が通っていた不妊治療の婦人科は院長先生と2名程度が常勤で
見た感じ8名位が非常勤だった気がします。
この軽い口調の先生は長い治療通院の中でも2回位しか会ったことがありません。

出来れば空気を読むご指導を何方からか頂いた方
良いかと思われます。

「自信は無かった」 について_その1

こんにちは、
小走りです。
そういえば一番最初にご説明しなければ行けない事を
すっ飛ばしていました。

表題の
「自信はなかった」
についてです。

胚をお腹に戻す瞬間から非常に多方面に思ったことでした。

まず、
「妊娠する自信はなかった」
不妊治療中、私は非常に卵を作り難い体でした。
加えて結構な期間を掛けて取り出したわずかな卵で
受精して移植できる胚まで進んでくれた子
この子だけでした。
体外受精治療に切り替えてから
6年でたった一個
です。
しかもグレードは3AB。
不妊治療されている方は分かると思いますが
基本的に凍結して解凍して、お腹に戻せるぎりぎりのラインです。
極めつけは年齢。今年で41歳の私です。
もちろん万全の体調で臨みましたが
正直記念受験の心持でした。
(受験料半端なく高いけど・・・)
そんな私が移植1週間後に妊娠を告げられた時
「え?マジ?」
と言う驚きが喜びより先に出てきた程でした。
もちろんその後は号泣でしたが。

その2に続く