色々な婦人科医の先生_二番目の先生

こんにちは、
小走りです。

前回に引き続きは今まで通った婦人科の数々の先生、
医院について
少し書き留めたいと思います。

結局生理痛の原因不妊の相談も出来ないまま
2、3か月が過ぎました。
しかし不安と痛みはそのままだったので
次の婦人科に行くことにしました。

取敢えず先輩方のご指摘通り「婦人科」を探しました。

見つけたのは最寄りの駅から一駅先にある
割と新しいクリニックでした。
生理痛と不妊の相談をした所、
血液検査から尿検査まで一通り検査してもらえました。

院内もきれいだし、比較的空いているし、看護師さんは親切だし。
という事で生理痛の原因はやはりホルモンバランスではないか
と言われて原因は不明でしたが不妊の相談にも快く乗ってくださったので
ここで不妊治療を始めました

セオリー通りホルモン検査卵管造影等を受けました。
基本的に問題ないので王道でタイミング法で2回ほど様子を見ました。
しかしやはり妊娠には至らなかったので
次のステップに進むことになりました。

ここで不妊治療の先輩から仕入れた情報とかなり異なる展開になったので一気に混乱しました。
次のステップ人工授精だと言うのです。

この時点旦那の方の検査やタイミング法で並行して行う
フーナーテスト行っていなかったからです。

黙ってはいられず婦人科医さんに旦那の検査はしないのか聞いてみると
ご主人は検査したいって?
と逆に聞き返されました。

・・・そういう問題ではない。

この一件で不信感爆発

次の予約は電話でする旨を伝えて
この病院はそれ以降通うことはありませんでした。

しかし判断が早急過ぎやしなかったかと
この後少し後悔と自責の念にかられました。
一人ではもやもやが収まらず
同じ年の不妊治療仲間に打ち明けてみると
「何言ってるの?駄目だよそんな医者、フーナーもすっ飛ばすとかあり得ないし!」
同意してくれました。

勢いはある癖に自信のない私はこの一言で漸く次の医者を探すことが出来ました。

しかし、思い出してみるとこの病院では
付き添い等の旦那さんをほとんど見かけませんでした。
病院の方針と言うか、医院長の意向と言うか、
そういうものが出ていたのかもしれません。

色々な婦人科医の先生_最初の先生

こんにちは、
小走りです。

今回は今まで通った婦人科の数々の先生、医院について
少し書き留めたいと思います。

私の不妊治療の事の発端
生理痛からでした。

毎回と言うわけではないのですが
生理痛が非常に強いことがちょいちょいありまして、
痛くなるとピーク時
その場に座り込んで動けなくなるほどでした。

30代中盤位が一番痛かったような気がします。
この頃、
結婚4年以上経っても未だ妊娠しないことや
生理痛重すぎることに不安を抱いて
婦人科の門を叩いたのです。

予備知識ゼロで体当たりした私は
地元の産婦人科に行きました。
電話連絡したら予約なしの先着順だという事で
9時診療開始の産婦人科に8時半に行きました。
が、既に狭い待合室一杯の妊婦さん
10名以上の中で唯一お腹の大きくない私は一人浮いていました。

そしてそこからなんと3時間以上待って
診察室に通された時はお昼を回っていました。

アウェイ感半端ない空間で3時間以上はきつかったです。
しかし待ち疲れてヘロヘロのになって漸く診療に入った私は
ものの3分診察室から出てきました

と言うのも、おじいちゃん先生に自分の症状を伝える
最後まで聞きもしないで
「30代でしょ?良くある、良くある。病気じゃないから。」
と言われて不妊の相談をする間もなく診察が終了したのです。
問診オンリーで。

どこにこの感情をぶつけて良いのか分からず
帰り道、血管キレるほどいきり立ったのを覚えています。

後になって不妊治療の先輩から
妊娠していないのに「産」婦人科には行ってはいけない
という事を学びました。
」婦人科は妊婦以外の人間には結構な冷たさでした。

と言うわけで
当然諸々の原因も分からず最初の婦人科
二度と行くことはありませんでした。

今になって色々産婦人科を調べていると
産婦人科医としては評判が悪くない医院でした。
しかし過去にここまで印象悪いと
幾ら家の近くでも
妊娠後行こうとは思えませんでしたけどね。

思い出し怒り_後編

こんにちは、
小走りです。

思い出し怒り、後編です。

二日酔いで嘔吐く旦那と婦人科に行って採卵。
自己最高の3個を採取するものの受精したのは一つの卵だけ。
数日後、この最後の一つの育ち具合を電話で聞くことに。

ここまでが前回。

婦人科の受付から回された電話口の培養師さんが低い声で挨拶してくれました。
もう既に悪い予感しかしない
予感っていうのは悪い方ほどよく当たる
「残念ですが三日目分裂を停止しまして、胚細胞までは育ちませんでした。」
案の定、と言われました。

また駄目だった

この事実は40歳を目前にした当時の私には事実上
打ち止め宣言に聞こえました。
この後どう頑張ってもこの間以上のコンディションに持っていくのは
歳的に厳しいと思ったからです。

「そうですか、分かりました。・・・ありがとうございました。」
そう言って電話を切りました。
横に居た旦那駄目だった旨を伝える
「そっか、・・・次、頑張ろう!」
と慰めてくれましたが
この時はショックと失望が強すぎて自分の心の内に深く々く沈んでいました。

ショックが和らいでくると差し当たり今回の落ち度を探し始めました。
お酒の量は減らしたけど止めるべきだったかな?
とか
ちょっと仕事が忙しく貧血気味だったのがいけなかったかな?
とか考えていくうちに
・・・・あれ?最大の過失があるんじゃない?・・・旦那に
って事に漸く気が付きました。

え?ちょっと待って?
そう言えば前日お酒ヘロヘロになった上に二日酔い状態で採精子して健康優良なものが取れる訳ないじゃん。

しかしその時点で採卵日からは1週間も経ち
今更旦那に食って掛かるのもタイムラグがあり過ぎ
自分一人で怒りまくるしかありませんでした。

せめて最後の胚細胞の確認時にショックに打ちひしがれずこのことに気が付いていれば
思い切り噛みつくことも出来たのでしょうが
その時はそんな思考も回らないほど沈んでいました。

今思い出しても腹立たしい事この上ないです。
しかも
「次頑張ろう!」
ってお前が唯一頑張らなければいけな所頑張れてないじゃないか!!
って思うと慰めの言葉怒りの対象でしかありません。

怒りが治まらない私は不妊治療仲間の知人に怒りを爆発
するとみんな口をそろえて
なにそれ!離婚だ、離婚!!」
と大いに怒ってくれました。

この時本当にみんな
怒ってくれて
悲しんでくれて
慰めてくれたことが
私のガリガリにささくれ立った気持ち宥めてくれました。
あの時はみんな、本当にありがとう
(今思い返しても涙目(笑))

不妊治療は自分との闘いだけに
仲間がいるとすごく精神的助けられます。
お互いに
どれだけ辛くて、
どれだけ時間とお金が掛かって
どれだけ苦しいかが
理解し合えるからだと思います。
それだけに仲間の誰かが子宝に恵まれた時
みんな自分の事のように喜ぶのだと思います。

すみません、少し話が逸れました。
さて、かなり時間が経った今でもこの件に関しての旦那への怒り
私にとって多分一生忘れられない位深い物だと思います。
ただ、今お腹にこの子が居てくれるので一先ず不問とすることにしています。
が、この子に何かあったり、弾みが付く出来事があったりしたら
この件は離婚への手形に直結すると思います。

いやー、女の恨みって怖いですねー(邪笑)

思い出し怒り_中編

こんにちは、
小走りです。

思い出し怒り、中編です。

数か月に及ぶ準備期間を経て採卵に漕ぎ着けた私は
採卵日前日早々に就寝。
所が夜遅くに旦那から掛かって来た電話は
酔っぱらって自分の所在が分からない、と言う内容でした。

ここまでが前回。

この時の旦那の電話内容は、
その日、営業さんと客先に行って早く上がれたから
そのまま月島で皆さんと飲んでいたそうです。
良い時間になったので解散して帰路についたのですが
どうも大江戸線を行ったり来たりして
らちが明かないから電話をかけた、というもの。

・・・・・知るか。

眠い上に明日は採卵日で早いし、
何より明日が如何に大事な日かは前々から旦那には言ってありました
で、この体たらく
一応電話口で明日の重要性と予定を再確認し、こちらも切れてみました。
しかし、分かってる解ってる、だから帰る
と、繰り返す始末。
そう、酔っ払いに説教は「暖簾に腕押し」。

自宅神奈川の西の方なので東京からだと通勤時間は1時間は掛かります。
大江戸線の駅名を聞いても聞いたことない駅名
客観的に考えて旦那のこの状態で終電はかなりぎりぎり

取敢えず新橋か東京などのターミナル駅に出るように指示
10分後、大江戸線の同じ駅に着いたと連絡が入る。
・・・駄目だこりゃ

明日の為にも自分の体も旦那の体も休ませたい、
そこで旦那は実家に向かってもらい
明日朝一で帰ってくる提案をしてみました。
旦那の実家荻窪なので自宅に帰るより大分楽なはず。
すると
僕は自分の家に帰りたいんだ!
・・・・酔ってる人間てめんどくせー。

最終的には、京浜東北線に乗り奇跡的に大船まで到着、
真夜中に私が車で迎えに行きました。
家に着いたのは午前2時過ぎ
採卵は朝8時からの予定。

酔いつぶれた旦那を寝室に押し込んで
こちらもとっとと就寝しました。

明けて翌日。
旦那全力二日酔い
・・・・だろうな。

車で婦人科に向かう途中も助手席で若干嘔吐く旦那。
着いてすぐに旦那は採精子を行い、
私は採卵の準備の為簡易手術待合室へ。

ここまで来たらもう何も考えずに
良質の卵が沢山取れる事だけを考えよう
そう思って採卵に臨みました。

結果、自己最高の3つ獲得
これは期待が持てる!!
旦那ムカつく所業など忘れて私は上機嫌でした。

次の日に通院して受精確認
残念ながら受精自体は1つの卵しか出来ませんでした。
後は最後の一つが凍結できる胚になるまでもうしばらく待つことに。
神に祈るような気持ちで5日間が過ぎ
電話口で結果聞くことになりました。

続く

思い出し怒り_前編

こんにちは、
小走りです。

今回は不妊治療中の
思い出し笑いならぬ、思い出し怒りの話(笑)

元々私はを非常に作り難い体でした。
(これが私の不妊治療を長引かせた主な理由でもありました)

なので体外受精に治療を切り替えた後は
ホルモン剤リズムを整えて
良い感じの検査数値が出たらその月に強めの排卵誘発剤を各種投与
採卵に臨む。
その月は卵巣に無理をさせるので翌月と
大抵翌々月位まで卵巣を休ませる

こんなサイクルで治療を進めていました。

薬物投与でホルモン数値を整える努力をしても
私の体は今一良い結果出してはくれませんでした。
特にFSH(卵胞刺激ホルモン)値が異常に高く
30代の頃から下手すると80とかたたき出していました。
この数値は閉経した女性の値並みの高さです。
要は卵巣の機能が著しく低かったんです。

この為FSH値を下げる事が私の不妊治療の
大半の任務でした。
ネットで検索できる良いと言われることは基本大抵やりました。
(・・・・思い起こすと本当に頑張ってたなぁ・・・。)

そんな中での最後の採卵の時の話です。

2か月ホルモン剤の投与で調子を整えた結果、
珍しくFSHが一桁まで下がって先生も私もテンション高め
希望に胸脹らませました。
そこからはちょっと強めの排卵誘発剤を飲んだり
仕上げにhMG注射を自分で毎日打ったり。
すると初めて複数の卵が卵巣に視認出来たんです。
(今までは薬投与後も採卵対象まで大きくなったのは1つだけでした)

上手くすれば3つは取れるかもしれない。
期待大きくなるばかり。
採卵当日土曜日だから旦那も一緒に病院に行って処置ができる
自分の中では段取りも完璧でした。

実はこの当時、受精卵として凍結された卵が一つだけありました。
結果的にはその子が今、お腹に中に居ます)
しかしたった一つを移植するのに二の足を踏んでしまい、
出来れば複数個の受精卵が欲しいと、欲張っての採卵でした。

前日の金曜からお酒も控えて早めに就寝
・・・と、ここまでは良かったんです。

23時頃、私の携帯鳴りました
旦那からでした。
べろべろに酔っていてろれつが回らない状態で
今自分がどこに居るか解らない
と言った内容の連絡でした。

続く・・・

 

心拍確認時の出来事

こんにちは、
小走りです。

今回は回想編
移植してから妊娠判明その1週間後のお話。

このタイミングだと大抵のイベントとしては
心拍の確認
だと思います。

「成長が伴っていれば心拍の確認ができるよ。」
前回の検診でお医者さんにそう言われたので
当てにせず期待せずに内診に臨みました。

と言うのも、
ちょうど2年程前に旦那の従妹が40歳で妊娠して
大喜びしていたのですが心拍の確認ができず
悲しい結末となったのを身近に見ていたからです。

内診室でエコーが画面に表示されると
子宮の中によく分からないもやっとした
小さな塊が見えました。

するとその一部が跳ねるように動いていたんです。
・・・もしかして?
胸の奥にくっと掴まれたような痛みが走りました。
カーテンの向こう側で診察医が
「見えるー?このピコピコと動いているの、これ、心臓ね。」
と、至極軽い口調でこちらに語りかけてくれました。

その口調とは裏腹
胸の奥の痛みは一気に強くなり涙を押し上げてきます。
「あの、心拍が確認できた、という事、ですか・・・
まだコントロール出来ない感情で何とか確認の言葉を繋ぎました。
あのコンディションで良くここまで・・・、
目には涙が溜まって今にも溢れる寸前です。
するとまた軽い口調で思いもよらぬ言葉が返ってきました。

「そうだよー。これで心拍確認成功報酬ねー。」

・・・・・・・・・・・・・・ん?
この言葉にはガチで涙が引っ込みました。

え?なにそれ?
って言うか、のタイミングで言う言葉?
感動何とも言えない感情に変わりました。

その後の会計きっちり10万近く「成功報酬」が
計上されていましたが、
せめて内診終わってからの診察段階まで言わなくても良いような気がしました。

不妊治療の料金って恐らく婦人科によって異なると思うけど
心拍確認の直後のエコー中
お金の話はちょーっと無粋過ぎる気がしました。

私が通っていた不妊治療の婦人科は院長先生と2名程度が常勤で
見た感じ8名位が非常勤だった気がします。
この軽い口調の先生は長い治療通院の中でも2回位しか会ったことがありません。

出来れば空気を読むご指導を何方からか頂いた方
良いかと思われます。

15週検診_後編

こんにちは、
小走りです。

前回からの続き。

さて、性別判明の興奮冷めやらぬ状態ですが
本日のメインイベント。
出生前検査についてのお話合いです。

元々夫婦間で話し合っていて
この検査は受けよう、となっていました。

一番の問題はお互いの歳
前にも書きましたが
順調にこの子が育ったとしても
成人時に私が61歳、旦那が65歳
もう少し言えば、旦那が定年退職を迎える年に
子供はまだ中学生という事になります。

もし重度のダウン症等の特性を持って生まれとしても
一生この子の世話ができるという時間が我々には
恐らく無いのです。

この意見に「言い訳」であるとか、
逃げ」であるとか、
授かった命を丸ごと受け止めて愛するべきである。
と言う反論も多々あるかと思います。
それも重々受け止めています

私が言っている内容はどう繕っても
診断で障害が認められたら
お腹の中の子を自分の意志で殺す
と言う判断を下す可能性の話なのです。

先程もエコーで見た通り、
小さいとはいえ既に人間です。

簡単な話ではないという事は
分かっているつもりです。

その全てを踏まえて
今後について先生にご意見を伺いました

すると先生の反応は検査の受診を
非常に渋った印象を受けるものでした。

性別と同じく絶対に断言はしませんでした
夫婦で後から意識合わせをした結果も
え?受けるの?
位の反応だったよね、と言う所で一致してました。

ここからは推測ですが
エコー時の所見で異常が見られ無かったのだと思います。(憶測
私が行う希望をしたのは羊水検査です。
確率ではなく、正確性のある結果が欲しかったからです。

しかし羊水検査1/300の確率流産や感染症などを
招くと言われているそこそこリスキーな検査です。
エコーを見る限りと羊水検査のリスクの塩梅を
先生が天秤にかけたのではないかと思います。(憶測全開

先生にここまで渋られると我々夫婦も一気にトーンダウン
最後まで先生は決断はお任せします、
と言っていたけど
要は責任取れないからってだけの話。

と言うわけで
本当に羊水検査を受けるかどうかは
我々夫婦のジャッジのみに託されました。

先生の態度と口調を考えると
どうにもブレーキは掛かり気味。
しかし歳も歳だし、不安材料は全て明確にしておきたい。

検査を受けられるのは後数週間のみ
再度夫婦会議をして
リスクを負うか、検査を受けないか
決めたいと考えています。

 

妊娠15週目

こんにちは、
小走りです。

何とか15週を迎えました。
4か月最終週です。

と、ここでそろそろお腹も出始めてきたので
会社にも妊娠を告げました。
私はフルタイムで働いています。
職業はシステムエンジニアです。
会社はザ・中小企業ソフトハウスです(笑)

大手企業と違って
基本不景気で人手不足と言う
中小ならではの悪循環な会社です。

そんな会社でプロジェクト何本か持ってる私が
「子供を授かりました。」
と言えばどうなるものか。
・・・・えぇ、分かっていましたとも。
言葉にこそ出てませんでしたが
課長も部長も顔が
「・・・えー・・・」
って言ってました。
私が40歳過ぎていたので上司もこの可能性は
さすがに無いと思っていたのでしょう。
正直、働き人として、気持ちは分かります

何拍か置いた後に部長が漸く
「お、めでとう。。」
絞り出すように言って下さいました。
良い人です。

課長「えー、」の顔のまま
後任と引き継ぎの心配をしていました。
まぁ、課長止まりですね(邪笑

その後総務部から
産休開始日と育休開始日、終了日の予定を連絡された時は
少し実感が湧きました。

私はつわりも軽く、体調も大きくは崩さなかったので
妊娠している、と言う実感が今一湧かない状態
今に至っています。
漸くお腹が少し出てきたのと
少しずつ周りに告知していく過程での
周りからの反応
「・・・おぉ、子供ができるんだ。」
と認識し始めました(遅)

今回の会社での出来事もそのうちの一つでした。
まだ会社でも一部の方しか知らないですが
お腹が目立ち始めるとまた、周囲の変化もあるのでしょうね。

「自信は無かった」 について_その3

こんにちは、
小走りです。

「自信はなかった」
について・・・のその3です。

その次に、
「妊娠を続けられる自信はなかった」
統計で出ている41歳の妊婦の流産確率は約40%だと言われています。
この数値を見て楽観視できるほど
お気楽な性分ではなかったので
妊娠11週目までは旦那以外の誰にも報告しませんでした

週を重ねる毎に何事もなかった事に感謝しながら
小さく安堵を繰り返しました。

しかし正直の所、まだ自信のないままです。
それは出生前前検査が控えているからです。
倫理的な問題なんてそれは死ぬほど考えていますが
現実問題私が41歳、旦那が44歳で子供が成人する時には
我々は還暦を迎えています。
この状態で障害のある子供終生面倒を見ることは物理的に難しいという事です。

もうすぐで15週を迎えます。
出生前検査が受けられる時期に入るわけですが
中々気持ちが落ち着かない
今日この頃です。

その4に続く

「自信は無かった」 について_その2

こんにちは、
小走りです。

 

表題の
「自信はなかった」
について・・・の続きです。

 

次に、
「断酒する自信はなかった」
自他共に認める酒好きで、基本、毎日晩酌
健康診断の前の日ですら
「ありのままを診てもらわないとね♪」
等の言い訳をしては飲んでいました。

 

当然血液検査のガンマ何チャラは規定値の上を行き
いつも判定はC(要経過観察)でした。

 

不妊治療中も断酒できなかったらどうしよう
と言う不安は漠然とありました。
妊娠中の飲酒について結構調べたりしたのですが
これが今一的を得ない
当然、断酒が一番お勧めなのは百も承知
その上でのボーダーラインが知りたいと思うのですが
お医者さんや国によっても見解が異なる

 

そんな曖昧な基準では自分に甘い私
断酒できるとは思えない。


「・・・自信ない・・・」


もちろん胚移植後は相当お酒を控えましたが
断酒には至っていませんでした。

 

そんな覚悟も無いままに妊娠が告げられました

 

すると、これが自分でも驚いたのですが
完全にお酒が止められたんです。

 

とは言ってもノンアルコールビールの補助があってのことですが
一応、アルコール度ゼロの生活が送れるようになったんです。

 

もちろん欲求が無くなった分けではありません。
今でも呑みたいです。
物凄い呑みたいです。
ただ、お酒を体に入れる事への罪悪感の方が半端無かったんです。
飲酒の欲求収めるべく暖かいルイボスティーで誤魔化していたら
精神的にも断酒を受け入れられたんです。

 

自分は8割方アルコール依存症じゃないかとすら思っていたのに
ここまですっぱり止められたのは
やはり精神的なものが大きかったようです。

 

自分は2年弱我慢すればいいけど
その2年を我慢しないとこの子は
一生ハンデを背負う人生になってしまうかもしれない。
そう考えると罪悪感と背徳感と申し訳なさ
飲酒に歯止めを掛けてくれました。

 

とは言え
妊娠の自覚が全くない超初期の頃から
あれだけ好きだったお酒をピタッと止められたのは
自分、凄いし、偉いと思ってます。
当然誰も誉めてくれません
「そりゃ、妊娠すればね。」
って口を揃えて言われます。
でもでも、正直私は自分を大いに褒め称えてあげたいです。
「お前頑張ってるよ、半端なく偉いよ、そうそう出来る事じゃないよ。」
日々自画自賛しながら、
今夜も私はルイボスティーを嗜みます。

その3に続く