妊娠15週目

こんにちは、
小走りです。

何とか15週を迎えました。
4か月最終週です。

と、ここでそろそろお腹も出始めてきたので
会社にも妊娠を告げました。
私はフルタイムで働いています。
職業はシステムエンジニアです。
会社はザ・中小企業ソフトハウスです(笑)

大手企業と違って
基本不景気で人手不足と言う
中小ならではの悪循環な会社です。

そんな会社でプロジェクト何本か持ってる私が
「子供を授かりました。」
と言えばどうなるものか。
・・・・えぇ、分かっていましたとも。
言葉にこそ出てませんでしたが
課長も部長も顔が
「・・・えー・・・」
って言ってました。
私が40歳過ぎていたので上司もこの可能性は
さすがに無いと思っていたのでしょう。
正直、働き人として、気持ちは分かります

何拍か置いた後に部長が漸く
「お、めでとう。。」
絞り出すように言って下さいました。
良い人です。

課長「えー、」の顔のまま
後任と引き継ぎの心配をしていました。
まぁ、課長止まりですね(邪笑

その後総務部から
産休開始日と育休開始日、終了日の予定を連絡された時は
少し実感が湧きました。

私はつわりも軽く、体調も大きくは崩さなかったので
妊娠している、と言う実感が今一湧かない状態
今に至っています。
漸くお腹が少し出てきたのと
少しずつ周りに告知していく過程での
周りからの反応
「・・・おぉ、子供ができるんだ。」
と認識し始めました(遅)

今回の会社での出来事もそのうちの一つでした。
まだ会社でも一部の方しか知らないですが
お腹が目立ち始めるとまた、周囲の変化もあるのでしょうね。

「自信は無かった」 について_その3

こんにちは、
小走りです。

「自信はなかった」
について・・・のその3です。

その次に、
「妊娠を続けられる自信はなかった」
統計で出ている41歳の妊婦の流産確率は約40%だと言われています。
この数値を見て楽観視できるほど
お気楽な性分ではなかったので
妊娠11週目までは旦那以外の誰にも報告しませんでした

週を重ねる毎に何事もなかった事に感謝しながら
小さく安堵を繰り返しました。

しかし正直の所、まだ自信のないままです。
それは出生前前検査が控えているからです。
倫理的な問題なんてそれは死ぬほど考えていますが
現実問題私が41歳、旦那が44歳で子供が成人する時には
我々は還暦を迎えています。
この状態で障害のある子供終生面倒を見ることは物理的に難しいという事です。

もうすぐで15週を迎えます。
出生前検査が受けられる時期に入るわけですが
中々気持ちが落ち着かない
今日この頃です。

その4に続く

「自信は無かった」 について_その2

こんにちは、
小走りです。

 

表題の
「自信はなかった」
について・・・の続きです。

 

次に、
「断酒する自信はなかった」
自他共に認める酒好きで、基本、毎日晩酌
健康診断の前の日ですら
「ありのままを診てもらわないとね♪」
等の言い訳をしては飲んでいました。

 

当然血液検査のガンマ何チャラは規定値の上を行き
いつも判定はC(要経過観察)でした。

 

不妊治療中も断酒できなかったらどうしよう
と言う不安は漠然とありました。
妊娠中の飲酒について結構調べたりしたのですが
これが今一的を得ない
当然、断酒が一番お勧めなのは百も承知
その上でのボーダーラインが知りたいと思うのですが
お医者さんや国によっても見解が異なる

 

そんな曖昧な基準では自分に甘い私
断酒できるとは思えない。


「・・・自信ない・・・」


もちろん胚移植後は相当お酒を控えましたが
断酒には至っていませんでした。

 

そんな覚悟も無いままに妊娠が告げられました

 

すると、これが自分でも驚いたのですが
完全にお酒が止められたんです。

 

とは言ってもノンアルコールビールの補助があってのことですが
一応、アルコール度ゼロの生活が送れるようになったんです。

 

もちろん欲求が無くなった分けではありません。
今でも呑みたいです。
物凄い呑みたいです。
ただ、お酒を体に入れる事への罪悪感の方が半端無かったんです。
飲酒の欲求収めるべく暖かいルイボスティーで誤魔化していたら
精神的にも断酒を受け入れられたんです。

 

自分は8割方アルコール依存症じゃないかとすら思っていたのに
ここまですっぱり止められたのは
やはり精神的なものが大きかったようです。

 

自分は2年弱我慢すればいいけど
その2年を我慢しないとこの子は
一生ハンデを背負う人生になってしまうかもしれない。
そう考えると罪悪感と背徳感と申し訳なさ
飲酒に歯止めを掛けてくれました。

 

とは言え
妊娠の自覚が全くない超初期の頃から
あれだけ好きだったお酒をピタッと止められたのは
自分、凄いし、偉いと思ってます。
当然誰も誉めてくれません
「そりゃ、妊娠すればね。」
って口を揃えて言われます。
でもでも、正直私は自分を大いに褒め称えてあげたいです。
「お前頑張ってるよ、半端なく偉いよ、そうそう出来る事じゃないよ。」
日々自画自賛しながら、
今夜も私はルイボスティーを嗜みます。

その3に続く

「自信は無かった」 について_その1

こんにちは、
小走りです。
そういえば一番最初にご説明しなければ行けない事を
すっ飛ばしていました。

表題の
「自信はなかった」
についてです。

胚をお腹に戻す瞬間から非常に多方面に思ったことでした。

まず、
「妊娠する自信はなかった」
不妊治療中、私は非常に卵を作り難い体でした。
加えて結構な期間を掛けて取り出したわずかな卵で
受精して移植できる胚まで進んでくれた子
この子だけでした。
体外受精治療に切り替えてから
6年でたった一個
です。
しかもグレードは3AB。
不妊治療されている方は分かると思いますが
基本的に凍結して解凍して、お腹に戻せるぎりぎりのラインです。
極めつけは年齢。今年で41歳の私です。
もちろん万全の体調で臨みましたが
正直記念受験の心持でした。
(受験料半端なく高いけど・・・)
そんな私が移植1週間後に妊娠を告げられた時
「え?マジ?」
と言う驚きが喜びより先に出てきた程でした。
もちろんその後は号泣でしたが。

その2に続く

婦人科から産婦人科へ

こんにちは、小走りです。
少し時間が空きましてすみません。
今月頭の振り返りから・・・。

先週長年お世話になった不妊治療のクリニックを9月で卒業し、
10月から「」婦人科に転院しました。

長年私にとって「産」婦人科は
字の如く「産める」女性が掛かれる科。
何と言うか、
不妊治療が上手くいっていなかった私には
成功者のみが掛かれる資格を持つ
選ばれし者の科でした。

例えると、
産婦人科待合室で繰り広げられる
「奥さんは何週目なんですか?」
「えぇ、もう38週なのでそろそろなんです。」
「わぁ、頑張ってください。私はまだ来週20週だから先が長いです。」
「あら、あっという間ですよ?」
「そうなんですか?うふふ」
「えぇ、おほほほ」
的な会話は
貧乏人から見た裕福層の
「奥さん今年の夏はどちらに?」
「えぇ、フランスのニースへ。」
「わぁ、素敵。私はまたハワイでしたの。」
「あら、欧州も近いものですよ?」
「そうなんですか?うふふ」
「えぇ、おほほほ」
的な会話に匹敵する心持でした。
(※注意:小走りの主観です)

イオンの子供服売り場を通る時は
何となく早足になるし、
赤ちゃんを抱いたご年配の方を見ると
自分と旦那の親に罪悪感すら感じました。
(※注意:ただの被害妄想とも言います)

そんな私が長い長い不妊治療期間を卒業し、
総合病院の産婦人科に出産目的で診察を受けた時は
はっきり言って結構なドヤ顔だったと思います。

まだまだ色々な壁があることは分かっていますが
取り合えず9週の壁を越えた私はこんな感じで
妊娠、産婦人科ライフを始めました。

初めまして

 もうそろそろ大丈夫ではなかろうか?
そんな思いで綴り始めました。
9月も終わり金木犀が香る頃、
私は41歳にして妊娠12週目を迎えました。
まだ安定期にはなっていませんが一先ず妊娠記を付けても
(いろんな意味で)大丈夫ではないだろうかと(笑)
思えば足かけ8年、途中仕事が忙しかったり、お金が続かなかったり、結果が伴わなくて心が折れたりして中断を多々挟んだ不妊治療でしたがどうにか今、母親になれる可能性の一端を握ることが出来ました。
そんな私の妊娠記をリアルタイムで、不妊治療期を回想的に綴ってみようかと思います。
不妊治療は出口の分からないトンネルを進むようなものだ。
と誰かが言っていましたが本当にそうだと思います。
そんなどなたかの興味が頂ければ、このブログは幸いです。