産後直後と今更の所見

すみません。
私生活に忙殺されて
ダイナミックに更新を停滞させておりました。

この間も色々いろいろイロイロ・・・
ありまして、
順次発信させて頂ければ幸いです

さて、今回は前回の出産話のおまけと言うか
出産直後の出来事です。

指の感覚がなくなるほど踏ん張った私ですが、
後産の後に担当の若い助産師さん
トイレに行かないか?
と言われました。

確かに長時間トイレに行っていないが
正直歩ける気がしない
分娩室の隣につながるように
トイレが設置されていました。

さあ、どうぞ、と言われて
抗う気力もないまま朦朧とした意識でトイレへ。
まだ足がまともに閉じれない、
変な蟹股状態でゾンビのように歩く私。
ふらふらとしながら便器に座るも
完全に鬱血して腫れまくってる股間では
モノが出ているのかどうかも感覚が分からない

そう思っているうちに
気持ちが悪くなってきた
貧血を起こしたらしい。

「大丈夫ですかー?
気持ち悪いですかー?
立てますかー?」
等と矢継ぎ早に聞いてくる若い助産師さん

「・・・気持ち悪いです」
と、完全に俯いて答える私。

「取り合えず立ってみましょうか?
「・・・すみません、たてません・・」

「どうしたの!?」
向こう側でベテランの助産師さんの声がしました。
「車椅子下さい、立てないそうで!」
若い助産師さんが叫びました。
程なくして俯いて床を見ている私の視界の
片隅に車椅子が運ばれてきました。

「小走りさん、支えますから一旦車椅子に!」
無理やり私の体制を起き上がらせようとする
若い助産師さん。

そうまでしてトイレに行く理由って・・・
と、回らない頭でふんわり考えていた所から一瞬暗転

次に目に入ってきた光景は死体が引きずられて
そのあとに血糊引きずった後に残る
殺人現場のような映像でした。

私は貧血で気を失い、
起き上がらせようとした助産師さんに倒れこんだようです。

つまり、
貧血で気を失う
 ↓
助産師さんに倒れこむ
 ↓
他の助産師さんも集まる
 ↓
気を失った私を引っ張りながら運ぶ(今ここ)

私はそのまま両腕を引っ張られ
両足を引きずられて再び分娩室へ。
服の色が違うERの女性の看護師さんも
わらわらと来てストレッチャーを用意
医療ドラマで看護師さんがよくやってる
「1,2,3、はい!」
のタイミングで体が持ち上がっていました。

若い助産師さんはこの時私の
血圧を測ろうと計測器を出していて
「こんな所でバイタルが安定するわけないでしょ!」
と、ベテラン助産師さんに
叱り飛ばされていました。

生まれたての我が子も一緒に
病室に収納され、午前3時頃
ようやく私の長い長い1日が終わりました

後から、私の出産は通常より
出血がかなり多かった事が分かりました。
(母子手帳に出血量が書いてあった)
通常500ML以下で正常、それ以上だと異常だそうです。
私は650KLと上限を結構な量でオーバー。
そのタイミングで立ったりしたら
そりゃ倒れるよね・・・。

申し訳ないけど、
助産師さんはやっぱり
ベテランの人が絶対良いと
心の中だけで深く思いました。

因みに私が気を失った瞬間
立ち合いだった旦那は分娩室にいたので
この光景を見た時
「え!いきなり父子家庭!?」
と、私の死を本気で覚悟したそうです。

因みに因みに、
管子で分娩補助って通常分娩ではないようなのですが
母子手帳には通常分娩って記載があります。
今更ですが、私は異常分娩の部類に入っていたのでは
と思います。
ただ、どこにも管子が使われた記述が
母子手帳にはありません。

既にペペは2歳10か月。
病院相手に蒸し返すこともさすがにしませんが
異常分娩だったら保険適用内だったなー、
と悔しい気持ちになっております。。

出産当日 その2

こんにちは、
小走りです。

またしても時間が空きましてすみません。
産後3週手前乳腺炎になってしまい
高熱痛みで更新が遅れました。
乳腺炎の話も出来ればいつか載せたいです(笑)
これはこれで結構辛かったです。。。
さて本題、出産当日の続きです。
子宮口8センチまで開いて
そろそろ分娩台に乗ってみましょうか、
と言われた所までが前回でした。
~~~~~~~
19:30
定期的に来る陣痛MAXを更新し続ける
旦那セコンドの様に飲み物を供給してくれた。
これはありがたかった

20:00
担当の先生が分娩室に来る。
助産師さんまだ掛かりそうです。
と告げると部屋から出て行った。
痛みに耐えながら、
まだ時間かかるんだ・・・。
軽く絶望にも似た心境になる。

20:40
子宮口9センチまで開く。
いきんでは駄目だけど陣痛は叫び声をあげる程の痛みになる。
この痛みにいつまで耐えるのかを考えると
正直気が狂いそうだったのでひたすら考えない様に耐える。
スパイが捕まった時の拷問ってきっとこんな感じだ、
と朦朧とする意識の中で想像する。

21:00
私を担当してくれた助産師さんはどうやら新人さん。
ここでベテランの助産師さんが来てくれて
まだなの?
的なことを小声で聞いている。
妊婦に聞こえてますよー・・・。
まだなんですよ、根っこみたいのが残ってて・・・
と、新人助産師さん
根っこってなんだ?

21:10
突然雰囲気が慌ただしくなる
廊下を人が走っている様子が伺える。
と、生まれたばかりの赤ちゃんが分娩室の新生児台に運ばれてきた
先輩ですよ!
と別の助産師さん。
聞くと私が分娩室を使っているため畳の別部屋で出産した方がいらっしゃったらしい。
病院に来て2時間で出産だそうで
今の私には羨ましい限りだ。

21:30
まだ子宮口が全開にならない中、
痛み叫び声が何度目かのギアチェンジを迎える。
傍らの旦那も団扇で扇いでくれたり濡れタオルで汗を拭ってくれたりと
セコンド役徹する

22:20
遂に子宮口全開
既に痛みに耐える過程で声が枯れかかってる。
自分のお腹を見るような姿勢でいきんで!
ベテラン時の助産師さんも助っ人に加わって私を叱咤する。
しかしかなり力を入れていきんでるはずなのに全然出てこない
腹筋には自信があったけど
子宮収縮(陣痛)に合わせていきまないと出てこないらしい。

22:40
破水
本当にお尻にぬるま湯をぶっかけられたような感覚。

23:00
ひたすら陣痛に合わせていきみ続ける
「このくらい頭が見えてきましたよ!」
と新人の助産師さんが親指と人差し指で輪っかを作って見せてくれる。
・・・え?こんだけいきんでまだそれだけ?
直径3センチ程度の頭が見えてる状態らしい。

23:10
担当の先生再登場
何度かいきみに合わせて私のお腹を腕で押して圧迫してみるも
思うように出てこない

23:20
私の体力限界に近いため
いきみきれないと先生の判断したのか、
「ちょっと出てくるの手伝おうか?
と言われた。
息も絶え絶えに私は
「・・・どうやって?
と、何とか声を発すると
「出てくる手助けだよ」
と返ってきた。
・・・答えになってない。
すると次のいきみのタイミングで火を付けられたような痛みが陰部に走る。
人間本当に痛いと漫画の様に
ひー・・・
と言うのだと実感した。
後から聞いた話でこの時「管子分娩」に切り替えたのだという。
管子で赤ちゃんの頭を掴んで
いきみに合わせて引っ張るのだ。

23:40
管子を用いたお陰で頭の半分まで出てくる
しかしここで止まる
どうもへその緒が絡まって出口引っかかっているらしいのだ。
ここで一番やりたくない事を薦められる。
会陰切開
それだけはしたくない、
と抵抗したけどこのままだと裂けてしまうと言われて泣く泣く了承
この病院は会陰切開を極力しないという事でもここを選んだ理由だっただけに
本当はどうしてもしたくなかった
しかし私の心を読んだのか、ベテラン助産師さんからこの時名言を頂きました。
「大丈夫よ!会陰切開は負けじゃないわ!!」
意識朦朧としながらもちょっと笑えた

23:50
会陰切開管子分娩の成果で頭部が全て出る
ここからはいきむと勢いが付きすぎるからもういきまなくても大丈夫
そう言われたがその後中々体が出ない
「・・・おかあさん、もう一回だけいきんでみましょうか?」
新人ゆえの手際の悪さなのか、私のパーソナルな問題なのかは分からない
結局子供の体が全て出るまでいきみ続けた

23:55
第一子、娘誕生
旦那最後までセコンドに徹してくれて汗だくで応援してくれた。
子供の元気な姿を見て涙していた
・・・しかしは長い苦痛からようやく解放される事への安堵と疲労
感動が押し寄せるどころか放心状態

この直後にカンガルーケアとかで胸に子供を乗っけた状態の写真を旦那が撮ったが
正直、死人の上に赤子を乗せているかのような絵面になっていた。
その後、長いこと産道で止まっていた我が子は羊水を上手く吐ききれずに出てきたため
吸引機で鼻や口から羊水を排除させられていた。
私も後産会陰縫合で暫く分娩台で処置を行っていた。

ここで左手の人差し指の違和感に気が付く。
第二関節よりやや下から指先の感覚が無い
どうやら分娩台に付いてる握り棒(?)を
長い時間全力力を入れ続けていた為らしい。
どんだけ力んでたかが伺える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以上が私の出産記録になります。
感想としては
とにかく分娩台に上がってからが長かった
痛い時間が長かった!
そして
度を越えた痛みは感動を凌駕する!
です。

産んで2日位は全身の痛みと疲労で
今一実感が伴わない位でした。

昔は命を落とした人も多かったというお産、
本当に大変なものだと改めて実感した次第です。

出産当日 その1

こんにちは、
小走りです。

またしても
期間が空いてしまいました。
すみません。

予定日から遅れること3日間漸く出産に至りました。
その後5日間の入院を終えて、諸々あって
予定していた里帰りを5日も伸ばして今に至ります。

その諸々はさておき、
取り合えず出産当日の事を実況中継風にお伝えします。

~~~~
前日まで全く気配がなく
8キロ弱歩く成果なし

でも、その日の夜中から変化は起きました。

2:30 寝ていると下腹部に違和感を覚えてトイレに、薄いピンク色織物に交じる
→来たか!?違うか!?の自問自答

4:30 少し多めの織物が出る感覚があり再度目が覚める、織物全体がさらに濃い目のピンク色になる
→来た気がする!と内心ざわつく

6:10 腹痛が微妙に続く

7:00 起床後、風呂上がりに鮮血を確認
おしるし来た!多分間違いない!!改めて認識するとちょっと緊張が走る
この頃から不定期だが
何時も朝には治まってる腹痛が出たり止んだりを繰り返す。

でも、おしるしは飽くまでおしるし
この後全く何事もなく1週間とか過ぎた人も居るらしいと
聞いたこともある。
確かにまだ本格的な予兆はない。
一応旦那に伝えると同じような温度で軽く緊張をしていた。
歳を食っているとは言えお互い初めての一大イベント。
やや浮足立って旦那が出勤していった。

10:00
今日出産になればその日から5日以上は病院から帰ってこれないので
もしかしてを考えて掃除と洗濯を済ます。

11:00
大学の友人がバランスボールに乗ると
子宮が下がってくると言っていたのを思い出して
取り溜めたドラマを見ながら1時間ほど弾んでみる

12:30
微妙に痛みが治まらない。
不定期だが必ず再度痛くなる
陣痛の確信を強めながら
冷蔵庫の余り物で雑炊を作って昼食にする。

その後痛み
12:35
12:48
13:01
13:11
13:20
13:32
とあって、流石に産婦人科連絡を入れる。
取り合えず診察を進められたので病院へ。
同時に旦那にも連絡を入れる。
会社から帰ってくる即答

14:00
徒歩で産婦人科受診
割とシャキシャキと歩く私に助産師さんが
「あら、意外と平気ね」
と感想を漏らす。

14:30
子宮口が半分開いていることが判明。
え?そんなに?
とビビる。
このまま入院でもいいし
まだ掛かるだろうから一旦帰って
夕飯済ませてからの入院でもいい。
と、緩く言われて自分との温度差に困惑する。

14:48
入院準備を持ってきているわけでも無かったので
一時帰宅

15:00
もしかして当分食べられないかも!
と、近くのサーティーワンに直行。
そこで旦那合流
お互い緊張の面持ちではあるが
いい年した中年が平日のおやつアイスを食べる。

16:30
痛みがだんだん強くなってくる。

17:00
夕飯が済ませられるコンディションではなくなったので
旦那に連れ添ってもらい事前に登録してあった陣痛タクシー病院へ。

17:10
先程とは違い、陣痛の波が来ると一歩も動けない
産婦人科まで来ると先程の助産師さんがその様子を見て
「あー来たね、ゆっくりでいいから。」
と声を掛けて下さった。
ほんの数時間前はこの廊下をシャキシャキ歩いていた私。
こんなにも違うものかと他人事のように思う。

17:20
診察の結果子宮口7センチまで開いているとの事。
あれ?早くない?
が、この時の私の感想だった。

17:30
陣痛室に通される。
痛みがどんどんきつくなる

18:00
病院食が出るも既に陣痛が強くなり殆ど食べれず
マタニティチェアにまたがって、点滴の支え棒を掴みながら痛み絶える
陣痛間隔3分
因みに病院食旦那が平らげてくれた。

19:00
子宮口8センチまで開いたので
分娩室へ。

力を逃がしながら息を吐く!
助産師さん無理な注文を言われる。
脂汗たらしながらこの時に例の有名な
「ひ、ひ、ふぅー」の呼吸法なのか?!
と痛みに耐えながら朧げに考える。

つづく

妊婦と予定日 ~独り言のような物

こんにちは、
小走りです。

実は本日出産予定日を迎えました。
・・・しかし出てくる気配なし

一週間ほど前からそろそろいつ来ても大丈夫なように
入院準備出産後の準備
旦那は駆け付けられるように仕事の調整等を行ってきました。
が、依然NO気配

出す為には歩け!と言われたので毎日6、7キロ歩く
少しお腹が張るくらい。
胎動は引き続き蹴られまくってます。

若干の待ち疲れ感があるのと同時に
はやり「人生で一番痛い」体験と言われる出産に
恐怖があるのも事実。

先週の検診で既に3000グラムを超えているので
お腹の大きさは許容量を超え気味。
胡坐をかいても座るのがやや辛い位の体系です。

おーい、ぺぺ~
そろそろ出ておいで~
そんで出来れば五体満足な姿を見せておくれ~。

歳も歳なので無事に出産するまで伝えていない知人
実は多いのです。

そんな知人から狙ったかの如く
飲みのお誘いとか来る今日この頃。

自分的に妊婦でお腹の大きい時期人生で極僅か
それを楽しまなくちゃ
って思ってはいるのです。

ただ許容範囲を超えて大きくなってくる
・・・う~ん、ごめん
そろそろ色んな意味お腹いっぱいかな?
って感じです(笑)

不妊治療の時には考えられなかった
贅沢な悩みです。

さて、雨も上がったし
今日も頑張って歩きまくってみます。

子宮内ポリープ その4

こんにちは、
小走りです。

今回も子宮ポリープの話です。
シリーズ物ですが
前回から6年弱ほど経って
再度ポリープ除去手術を受けることなった話です。

採卵と受精の繰り返し失敗し、
2014年の中頃からは1年程不妊治療をお休みしていました。
というか、多分内心では子供を諦めていたんだと思います。
今迄十二分に努力したのに40目前に気合を入れて
再度頑張れる気がしませんでした。

そんな2015年の秋口、凍結した受精卵の保存延長意思確認の書類が病院から届きました。
私が今まで受精卵まで成功した個数は前述通りわずかに一個
体外受精に当たり一つでは心もとないので出来れば複数、
と思い採卵を繰り返していました。
しかし結果一向に上手くいかず
終いには不妊治療そのものに疲れてしまっていました。

しかしこの通知で最後にちゃんとお腹この子を戻してあげて、
それで駄目なら本当に子供は諦めよう
最後のチャレンジに踏み切りました。

しかし、そうなると再度多分受けなければいけないのが
ポリープの除去手術
ポリープ大量生産の原因がホルモンバランス、
と言われていたので放置していればまた群生するのは
既に体質だという事も理解していました。

不妊治療を再開して子宮鏡検査を受けると案の定の結果。
前回同様無数にあるので全身麻酔での手術が言い渡されました。
しかし、医学の進歩とは凄いもので詳細を聞くと
日帰り入院でしかも体調によっては術後1時間ほどで退院できるとのこと。
それはお手軽だ。

手術の予約も前回の様に2か月後、とかではなく
採卵と同じ感覚で日にちの設定が出来ました。
前日から手術の詳細説明を受けて諸々投薬、処置。
しかし子宮口を広げる機材を入れるのはやっぱり痛かったです。

前日も時間以外特に食事制限もなくこれは楽だと高をくくっていました。
そこで私は最大の間違いを犯しました。
どうせ麻酔で眠らされて起きてもどうせ一日動かない日を送るなら
前日にちょっと飲み過ぎても大丈夫だろう。
馬鹿な考えをしました。
結果調子に乗って飲んで、あー、ちょっと気持ち悪い
位の二日酔いで次の日の手術に臨みました。

これがいけなかった

手術準備、手術、までは本当に採卵と変わらない状況だったのですが
手術が終わって麻酔から覚めた頃おや?と、思いました。
今迄も複数採卵の際に全身麻酔を受けたことがあるのですが
目が覚めてから具合の悪さが段違いに今回悪い
吐き気とも眩暈とも付かない悪寒が体の奥の方で大量くすぶってる感覚でした。

麻酔は30分くらいで切れて元の感覚に戻るから。
そう看護士さんは仰ってくれたのですが
1時間経っても一向に気分が良くならない

しかし日帰り入院の箱部屋病床で長居するわけにも行かず
午後一には退院
旦那に空腹ではないか聞かれたのですがそれ所じゃない
この時点でようやく自分の愚かさに気が付きました。

二日酔い全身麻酔を投入されたので
二日酔いが亜種化に変態、パワーアップした新生二日酔いに襲われているのだと。

そのまま家に直行してもらい夕方まで横になるも
まだ気持ち悪さが抜けない
いっそ吐き気があれば吐いてしまえば楽になれるような気もするが
平衡感覚厚い幕が張るような何ともしがたい気持ちの悪さ。
結局その日は自分の愚行死ぬほど悔いてそのまま就寝。

二回目のポリープ除去手術は酒の後悔にまみれた結果で終わりました。

因みに(いや、こちらが本題のはずだが)
術後先生から除去の結果や状況が説明されるから
それが終わったら帰って良いという指示で旦那と共に待っていたのですが
結構な時間先生が現れなかった
で、来たのが今まで見たことのない若い女医さんで短い円柱のプラスチックケースを持っていました。
中身は当然、私から除去したポリープ群。
見た感じ30cc位だったと思います。
半透明で涙型の物体で中心が赤くなっているゼリー状ポリープが無数に入っていました。
そしてそれを我々に見せながら軽くゆすりつつ、
説明抑揚のない声色で「きれいに除去できました」と一瞬で終わりました。
旦那も私も
「・・・え?それだけ?それだけの言葉の為に待ってたの?」
って顔で女医さんの後姿を見送りました。

各種医者で女医さんに当たることはそんなにないのですが
どうも個人的には女医さんいい印象が無いですね。
まぁ、私の場合、医者全体的に運が無いとも言えますが・・・・。

子宮内ポリープ その3

こんにちは
小走りです。

ポリープのお話の続きです。

子宮鏡検査の結果手術が必要になり
怒涛の展開で次の日に施術を受けることになった所までが前回でした。

病院を出てから速攻で方々に連絡
会社、旦那の携帯、実家、保険屋さんその他。

早退してきた旦那に急すぎると愚痴を言われ、慌ただしく用意をして
とっとと就寝して次の日に備えました。

次の日、9時に病院入りしたのですが
前の手術とその前の手術が押しており
結局午後2時になってようやく私の手術準備が始まりました。
全身麻酔の為この間ほぼ飲まず食わず。
ただ待つだけのこの時間は結構辛かったことを覚えています。

看護士さんに前からも横からも開くような手術着を渡されて
簡易パンツとその手術着だけで手術室に向かいました。

で、術台に上がって生まれて初めての全身麻酔
経験した方はお分かりになると思うのですがあれって
・・・・気持ち悪いですね。
点滴に麻酔薬をセットされると一気に視界が歪んでそのまま暗転しました。

手術自体は私が寝ている間に電子メスでザクザク子宮内ポリープを乱獲するもの。
昨日から子宮口を広げるための機材(素材?)をお腹にいれて
そこから手術のできる子宮内視鏡を用いての手術だそうでした。
この子宮口を広げる奴が前日に入れられてからずっと地味に痛かったです。

その後同じ手術台で慌ただしくビニールや布のこすれる音で
目が覚めました
そのまま病室に運ばれて酸素マスクをはめられたまま
ぼーっとした頭で何かの説明を受けましたが
麻酔がまだ残っていて全然記憶が曖昧でした。
旦那がまた明日来る、と言ったのだけ理解するのが精一杯でした。

意識が朦朧としたまま一晩経って気が付くと
自分が4人部屋の病室に居ることに初めて気が付きました。
他の3ベッドも色々な年代の女性で埋まっていました。
入院自体が初めてだったので病室の無機質な布団や枕が
居心地の悪さ満点で、早く退院したいとうずうずしました。

程なくして朝食が運ばれてきました。
よくよく考えたら昨日の朝から何も口にしていません
内心、わーい、と思って配膳をワクワクしながら待ちました。
しかし出てきたのはおかゆうすーい味の味噌汁味の無い菜っ葉の茹でた物だけでした。
足りる足らない以前に「なんだこれ!?」って思いましたね(笑)

余談ですが後ほど見た入院時の会計でこの「なんだこれ」朝ごはん
1200円していました。
色々言いたいことはあるものの病気をするとお金が無駄に掛かると実感した瞬間でした。

10時前頃旦那が面会に来てくれて、同時に先生の回診が合ったので
退院させてください!と言って逃げるように病院を後にしました。

帰る車中で旦那に聞いたのですが
手術直後に取れたポリープ群小瓶に居れて先生が旦那に見せてくれたそうです。
感覚地としては50ccくらいの体積で無数の赤い半透明な物体がみっちり入っていて
非常に気持ち悪かったそうです。
「報告としてなんだろうけど、俺に見せられても
と呟いていました。
確かに・・・。

これが一回目ポリープ除去手術でした。
これが確か2010年の出来事だったはずです。
二回目を受ける羽目になったは去年(2016年)だったのですが
劇的に手術やその前後の処理簡易的になっていて
医療の進歩に驚きました。

その話は次回から。

続く

子宮内ポリープ その2

こんにちは
小走りです。

ポリープのお話の続きです。

ポリープ除去のため一時転院
そこで子宮鏡検査を受けた後
待合室で待っている所までが前回でした。

しばらくして診察室に呼ばれると
難しい顔をした先生が眉間に皺を寄せて
電子カルテを見ていました。
「えーっとね、・・・凄かったね。」

・・・なにが?!

差し当たりきょとん顔で先生の次の言葉待ちました。
「モニターの画像が鍾乳洞みたいだったでしょ?」
言われてみれば確かにそんな形容が当てはまる絵面でした。

話を詳しく聞くと、
子宮内本来割とつるんとした平野だそうなのですが
私の子宮内は至る所にポリープとその予備軍隙間なくあり
この全てを除去する必要があるとのことでした。

当初、一個二個のポリープだと想定していたらしく
診察と変わらない手間でポリープの除去を考えていたそうなのですが
ここまで大量のポリープ除去になると全身麻酔をしての
入院付手術になるとのことでした。

おいおい、話が突然大きくなってるじゃないか。

何が原因か聞くと
女性ホルモン過多、という事らしいですが
だったらナゼ排卵し難い体なのだろうか
この辺り質問をぶつけてみたのですが
腑に落ちる回答が得られず、
当時も今も、今一納得できていません。

兎にも角にも手術が必須という事になり
手術の日程をその場で決めることになりました。
所が先生の手術スケジュールが過密
結構究極の選択でした。

選択肢は明日か2か月後の2択、どうする?と(笑)

順当にいけば2か月後なんだけど
偶々昨日、キャンセルが出て
明日の手術が可能だとのことだったんです。
歳も歳だったので一瞬悩んでから
明日の手術に踏み切りました。

続く

妊娠38週目検診

こんにちは
小走りです。

先週行ってきた定期検診の出来事です。
既に正産期に入っているので
1週毎の定期検診になっています。
大体1週間でお腹の中の子が200グラム
増えているような換算でした。

それ以外は特に子供に変化はなかったのですが
私自身の太ももの付け根
時折痺れる鋭い痛みがあったので
先生に質問してみました。

これだけ重い物が腹に詰まっているのだから
骨盤がどうにかならない訳がありません。
その辺の問題かなー
と、原因としては漠然と想像していました。

定期検診を土曜に戻したので
その日は旦那も同席していました。

因みに今担当してくれている先生ですが
不妊治療中の4番目の老先生に少し近い感じの方でした。
物事を断言しない若干「先生」という椅子に胡坐をかいている感じの方。
まぁ、当りの先生の方が世の中にははるかに少ないと言うのは
不妊治療期に嫌というほど味わっているので
今回の先生もこんなもんだよね、的な感覚しか持っていませんでした。
基本的に「利便性」で産科を選んだので仕方ない、という諦めもありました。

そんな先生に足の付け根の痛み相談すると
幾らなんでもちょっと待てや
的な答えが返ってきました。
わかりません!
こう言い切ったんです。

いやいやいや、
検査とかした訳じゃないから正確にはそうかもしれないけど
医者が患者の質問に即答でそれはないだろ。

その後で大体想像通りの足の付け根を
神経が圧迫しているのが原因と思われることを
補足していました。
でも最後に
「これと言った原因はわかりません。」
再度言っていました。

・・・その補足的な説明をふんわり理由にすれば良かったんじゃないの?
目を一切逸らさず決め顔で断言する言葉じゃないでしょ?それ。

診察室を出て待合い室に戻ると旦那が
「・・・なんだ?あれ・・・」
と反笑いしながら呟きました。
最初怒りを覚えていたらしいのですが
余りにキリリ顔で言うもんだから
怒りを通り越して可笑しくなったそうです。
コントかよ」
・・・確かに

かねてから旦那のこの先生の評価は低かったのですが
ここにきて諦め境地に至ったようでした。
あの医者は病院がサービス業だと分かってない。」
事あるごとにこう言っていました。
この産婦人科いつもガラガラなのが
分かる気がします。

それでも転院しないのは利便性にプラスして
助産師さんが皆さん丁寧で親切だからです

お産に関しては正直よっぽどの事がない限り
助産師さんが主戦力だと我々夫婦は思っています。
この考えはもしかすると正しくはないのかもしれませんが
細々とした状況的にそう考えています。

何となく後味の悪い物を飲まされたような感覚で
その日は病院を後にしました。

あと数日で多分出産となります。
先生には若干の不安を抱きつつも
助産師さんと頑張って元気な子を産めればと思います。

子宮内ポリープ その1

こんにちは、
小走りです。

ポリープと聞くと
古い人間の私はでも歌わない限り
無縁な物だと思っていました。
しかし長い不妊治療で
ちょいちょい登場するサブキャラにまで昇格したのが
この子宮内ポリープさん。
それが今回のお話。

※少し長編なので
現状と並行してお届け(笑)

婦人科の先生シリーズでも書きましたが、
最初の体外受精治療の前
子宮内造影検査を受けました。
そこで
何か突起物が子宮内にある」
という事で子宮鏡検査手術を受けるべく
施設の整った別の病院を受診することになりました。

紹介状を受け取ったその病院の先生も
最初は突起物とっとと取って次のステップに行きましょう。
と言った軽いノリでした。

しかし子宮鏡検査を受けるとそういうレベルの話ではありませんでした。
子宮鏡検査は子宮内を水で満たして膨らませて
カメラを挿入して状態を見ます。

内診室で行うので私もモニター越しに見ていたのですが
私は正常と異常の区別が当然ですがつきません(笑)
だって初めて見るんですから。

しかし子宮内の画像が表示されると先生が言葉を詰まらせたんです。
子宮内をくまなく見てから最後に一言
凄いな・・・
とこぼされました。
その時の声がかなり神妙だったので
何がどう凄いのかが怖くてその場では聞けず
ヤキモキしながら診察室から呼ばれるのを待ちました

その2に続く

妊婦の近況

 

こんにちは
小走りです。

間が空きまくりました。
すみません。
駆け込み需要から
産休に入ったのですが
産休中ってもっと暇だと思っていました
(産休中も一回会社に呼ばれた・・・)

はい、言い訳です。
すみません。

現在38週目に入り
正産期といういつ生まれてもおかしくない状態となっております。

産休に入ったのが34週なので
既に4週間も経ってしましました。
改めて更新遅れましてすみません。

確定申告とか、助産師さんとの母親学級だったりとか
長年放置していた家の各所の掃除とか、ベビー用品の譲受とか・・・・
まぁ、色々動き回っていました。

現在は「人間のお腹ってこんなに大きくなるんだ。」
グロテスクなまでに突き出たお腹を毎日眺めております。
産休に入った直後位に
十二分に大きいけどまだ一月以上予定日は先だから
まだまだこのお腹は大きくなるんだよな・・・・」
と漠然と思っていましたが
本当にまだまだ大きくなるんですね!

自分のお腹ながら引く位大きいです。
体重も産前に比べて8キロ近く増えました
重いです、邪魔です。
パンツや下着や靴下を履くのが非常に困難です。
炒め物していて何か焦げ臭いなぁ、
って思うと自分の腹の部分がコンロに近すぎて
ほんのり焦げています。

お腹の中では小島よしお張りに踊って
親を寝かせません

ただ、非常にありがたいことに
この時期特有の便秘、貧血、体重増加等もなく
体調は安定しております。

ただ、一点不安が・・・。

この期に及んでなのですが、
未だ子供が生まれる
という実感が湧いていないんです。
40歳過ぎまで気ままな独り身(旦那が同居人的な感覚だったので・・・)
堪能してきたので
ここに四六時中別の生命体
べったり私について回る
というのがやって行けるのか
・・・自信が無いですね・・・。

周りに心境を吐露すると
だーいじょうぶ!なるようになるから!!
と口を揃えて言われます。

・・・・本当?

一抹の不安を抱えながら
早ければ来週にでも対面するであろう我が子
どう接しようか考える日々でございます。